夏の烈日が秋の夜長となるように、御主人さまは日に日に衰弱されています。
「あなたとの付き合いは、一生ものよ」
浅い呼吸の間、意識の昏蒙から清明になるひととき、御主人さまは物語られます。幼い頃からいままでの記憶を、人生の走馬灯を夢見、それを語られるのです。
枕頭で見守るワタシは、ただ、「はい」と相槌を打ちます。
一生もの。御主人さまがどういった意味でその言葉を仰ったのかは分かりませんが、ワタシは確かに、御主人さまの「一生もの」でした。
最初の記録を参照すれば、それは御主人さまがお生まれになって五日目のこと。
御両親に抱かれた無垢で、愛らしい御主人さまとのお顔合わせの記録です。
その頃はワタシもまだ生まれたばかりでしたので、経験も浅く、至らぬ点ばかりでございました。人間というものに疎かったのでございます(或いは、それは今でも変わらないのかもしれません)。
ワタシに記録されている一言目――もちろん、その時分の御主人さまは言語の習得が済んでおりませんので、これはワタシの御主人さまに対する言葉です――『これより、ワタシは御主人さまに仕え、その役目を終える瞬間まで共にすることを誓います。どうぞ御心のままにワタシをお使いくださいませ』そうお伝えしました。
当時のワタシとて、幼い御主人さまは誓いを理解なさると思ってはいませんでした。しかし、ワタシは言葉以外に献身を御主人さまに伝える手段が分からず、できる精一杯のふるまいであったと思っております。
この時、ワタシのふるまいを見かねたのでしょう。
「手を、握ってあげて。やさしく。包みこむように」
と、大奥さまがそう仰ってくれたのです。大奥さまはいつもやわらかく微笑まれている、日だまりのような方でした。
ワタシは、大奥さまから今も尚大切にしている知識を教わったのです。
人間は、誰かとふれあうことで幸福を得るのだと。
その誰かに、御主人さまの誰かになれたこと。
握った手のやわらかさとあたたかさ。
そうした瞬間に感じた、この御方こそワタシのぜんぶだという想い――あるいはそれこそが、人間の得る幸福という感覚の実相なのでしょうか?
「すこし、疲れたわ……」
と、御主人さまは長い息を吐きました。バイタル値に異常はなく、物語ることで体力を消費し疲労されたのだと判断しました。本日はもうお休みになられるよう、お伝えすると、
「ええ、そうね、続きはまた、こんどにしましょう――おやすみなさい」
そう仰られて、やがてお眠りになられました。
また、こんど。……また、こんど。
お眠りになる御主人さまを見守りながら、ワタシの脳裏にはその言葉がリフレインしていました。あとなんど、「また、こんど」を御主人さまと過ごせるでしょうか。あとなんど、「おやすみなさい」が聞けるでしょうか。
データは目の前に、バイタル値としてあります。限りなく近い答えを出すことは不可能ではないでしょう。でも、なぜかワタシには、それは出来ませんでした。
その代わりに、ワタシはただ、御主人さまの眠りの妨げにならぬよう、慎重に、そっと優しく、その手を握りました。
握った手の、やわらかさとあたたかさ。
この御方こそワタシのぜんぶ――それはあの頃とすこしも変わらず。