〇天気晴朗なれども肌寒し。叔母から電話。母が出る。祖母の具合が良くないという。母と叔母――つまりは祖母の娘たちが、祖母を病院に連れていくことになった。私は「何か手伝えることがあればいつでも呼んで」と、なんとも頼りないことしか言えず、家で医者の診断の報を待つ。結果によっては、祖母は再び入院することになるだろう。もう、祖母が長年過ごした家に帰ることはないかもしれない。
親愛の情として、祖母には一秒でも長生きしてほしい、と願う私がいる。
と同時に、もうじゅうぶんだろう、と冷酷に計算する私も、確かにいる。
近代医学は多くの病と対峙し、そのわざにより命を失う人の数は減った。かつて不治の病と呼ばれたものは一錠の薬により治る時代になり、今や人間は病ではなかなか死なない。それゆえ、最期に老いが人間を蝕む。罹り、治り、罹り、治り――その繰り返しの果て、枯れ木が遂に折れるように人は死ぬ。若さは失われ、脳の機能は低下し、肉体は思うようにならず、己の糞尿の始末まで他人の手を借りなければできない存在になってしまう。病床で管だらけになった老人を見る時、それが幸福の姿であるとはゆめ思われない。
でも、それでも祖母には生きていてほしい――これは私の願いで、病人の願いではない。「はやく楽になりたい」と、祖母は最近言う。私は何も言えない。この先、祖母を待つのは死に向かう苦しみばかりだとわかるから。それでも、祖母の苦しみを知りつつ、まだ祖母が苦しむことを願わずにはいられない。今この瞬間にも、私は「祖母が安らかに逝けますように」と祈りつつ、「どうか、もう少しだけ、生かしてください」と願っている。
〇加納朋子『螺旋階段のアリス』読了。愛すべき日常のミステリー。続編の『虹の家のアリス』はもう手元にある。読み終わった物語が、その先に続くことほど嬉しいものはない。