「嵐の夜に美しい夢を見られたのは虚構のおかげだった。虚構がなければ、フィクションがなければ、私は荒れ狂う現実のなかで独りうちふるえていただろう。
――こういうとき、人々が嘘やまがい物と呼び取り合わないそれらだけが、私の友人たり得た」
〇言うまでもなく、リリアン・H・スミス『児童文学論』の解説で斎藤惇夫の書いた「非常用の錨」に影響されている。
虚構――嘘、まがい物、事実ではないもの、フィクション――は真実ではない。虚実の虚にあたるこれらは現実ではない。
が、虚構の向かい側にはいつも真実がある。
それは、いわば鏡映しの関係だ。私たちは虚構と対面したとき、そこから感じたものを自己の内面に反映させて真実とする仕組みを備えている。
優れた虚構は、荒れ狂う現実のなかで私たちが行く道を見失ったとき、足元を照らし、あるべき道へと戻る力を与え、辛い孤独に寄り添う友となる。
〇私の「非常用の錨」はなにかと考えた。
残念ながら特定の一冊は思い浮かばなかったけれど、こればかりは未だ読んでいない本こそ生涯の一冊たり得ると信じているのだから仕方がない。
そうやってあれこれと考えるうちに思い浮かんだのが、はじめの言葉であった。
私の「非常用の錨」は、べつに何か特定の一冊である必要はないのだと思う。
少なくとも、私にとっての「非常用の錨」は、「物語やそれを楽しむ」ことであった。