〇晴れのち雨。天気予報では夕立ちとされていたが、雨の降りだしたのは夜半のことであった。日中が晴れていたなら外出をして活動的な連休を過ごすのはどうかと考えはしたものの、結局は家に籠っていた。
〇今日は端午の節句。いわゆる子どもの日だった。男子の健やかな成長を願う日だが、この方の意味は薄れて男女の区別なく子どもの成長を願う日となっている。
町のいたるところに鯉幟が上がっている。商店街のアーケード、子どものいる家、寺社――子の幸福を願う人々の多いのは好ましい。とはいえ、今日だけの話ではなく年中上げっぱなしのところもあるが。
近くの神社では子ども神輿が出た。
家に籠る私の耳にも太鼓を打つ音と子どもの歓声が届いた。外に出れば通りを行く神輿を見れたかもしれないが、そこまでするほどではない、と、私は部屋の中で賑やかな音を聞いていた。
怠惰だろうか。怠惰かもしれない。
しかし、私のこの在り方はまこと幸福な事だとも思う。
〇「そこまでするほどではない」でどれ程おもしろき事を逃してきたか?
時々そういうことを考える。あるいはその可能性には、一生に一度の出会いや人生の転機があったのかもしれない。そう思えば暗澹とするが、しかし、タラレバで絶望するほどつまらない事もない。
それに、自らの取らなかった選択に可能性が満ちている思うのは、人間全般の持つ幻想の一種だろう。