〇雨。朝からずっと雨。ただでさえ篠突く雨という具合だったのに、夕からさらに勢いを増してバケツをひっくり返したようになった。気圧不調の折にざあざあと雨が降り零れてくるので憂鬱も一入である。
〇雨が勢いを増した時、こんな光景を見た。――
私は事務所で雨だれの音を聞いていた。朝から降りやまない雨は私の肉体に覿面作用し、じわじわ頭を締め付ける天気頭痛として表れていた。
勢いを増す雨が軒伝いに落ちてくる音は滝の様相を呈しており、どおどお音は事務所の中にまで響いていた。
昼時に飲んだロキソニンもいい加減効果が薄れてきて、私は憂鬱な午後の気配を感じた。
と、そんな時、窓の外からきゃあきゃあと幼い歓声が聞こえてきた。
――歓声? こんな大雨の中で?
事務所の前の道は近所の小学校に通う子供たちの通学路になっている。時計を見れば確かにいつも子どもたちの帰ってくる時間だった。帰り道に雨の中で遊んでいるんだろう、と頭では判断したものの、私は子どもの叫び声を聞いただけでそれが安全か危険かを断定するほどの自信はない。
それに加え、私のいる事務所は「子ども110番の家」の札を掲げている。
――様子を見るくらいはしよう。
私は席を立ち、窓に近づいて外の光景を見た。
五人の子どもたちが、雨の中で遊んでいた。
子どもたちには男の子も女の子もいて、皆きらきらしたランドセルを背負っている。手に持った傘を振り回したり、地面にできた大きな水たまりの上で跳ねたりして、目に見える全部が楽しくて仕方ないといった様子で笑っている。
当然、傘は傘の役目を果たしておらず、子どもたちは皆濡れねずみのようになっているが、彼らにはそれも愉快の理由足り得るものと思われた。
子どもたちの行為――傘を振り回したり、ずぶ濡れになったり――が安全か危険かと言われれば、大人としては一言注意したが良いのだろうが、私はどうもそれを咎める気にはなれなかった。もちろん、教師でも親でもない人間がその程度で声を掛けるのは躊躇われた、というのもある。当然、そこには面倒臭いという感情も含まれている。
だがそれ以上に、私にはその光景が、泣きたくなるほど平凡な幸福そのものに思われたのである。
私はこの時始めて、云いようのない憂鬱と倦怠とを、ほんの一時の間、忘れる事が出来た。
〇以上の出来事は、私に芥川龍之介『蜜柑』を想起させた。