日記:2025年5月25日

〇雨のち曇。いよいよ梅雨の気配が近づいている。盛夏を迎える準備、陽射す前の五月雨――などと聞くと情緒も湧こうものだが、現実はしとしと止まない長雨と生乾きの湿気、入雨の天気痛なのだから情緒も何もない。
 自然は現実の出来事である。雨に幻想を仮託しても、もたらされるものはやはり現実の出来事でしかない。

〇とはいえ、なにも雨は不快ばかりではない。
 私は自然に幻想を仮託するときはたいてい雨のことである。
 自然に幻想を仮託するといえば、良寛の《淡雪の 中に立てたる 三千大千世界 またその中に 泡雪ぞ降る》という歌が思い浮かぶ。
 美しい歌である。それとまた、せつない歌でもある。仏道を歌ったものと書くところもあるが、私はこの方に疎いのでよく分からない。
 良寛というひとは、窓の外に降る泡雪を見、そこに無数の世界を観た。
 が、それは泡雪の中の幻想だ。現実の雪は融ける。泡雪ともなれば、春を待たずとも、人肌に触れるだけで消えて跡形もなくなる。
 そういえば、ここでは雨が不快ばかりでもないと書きたいのだった。
 私は良寛が泡雪の中に観たものを、雨の中に観たいのだと思う。雨雫や雨音や水溜りの落ちた雨の波紋に。
 現実の雨の中に立つ好ましいもの。

この記事をSNSでシェアしたい!

コメントしてみる