日記:2025年10月11日

〇曇のち晴れ。朝のJRに乗って京都へ行く。目的は古本市である。
 京都駅の人混みは相変わらずだったが、連休初日にしては人が少ないように見えた。
 京都市中京区高倉夷川上ル――古本市会場の京都古書会館はそこにある。最寄り駅は地下鉄烏丸丸太なので京都駅地下から地下鉄烏丸線に乗って向かう。
 地下鉄を降りて10分ほど歩いたら京都古書会館に着いた。「まちなか」というだけあって知らなければ通り過ぎてしまいそうな佇まいだが、表に古本市ののぼりが立っていたから迷いはしない。
 開場は大きな会議室程度のワンフロア。縦横に本棚が並び古本が山とあった。
 私が到着したのは開場まもなくの午前10時10分にも関わらず既に10人以上の客が入っていた。客層は老若男女問わずだが、古本市の性質故か外国人の姿はない。
 だれも真剣な瞳で古本を見ていた。だれも天与の一冊を探していた。
 私も天与の一冊を探して2時間ほど古本の海をおよいだが、残念ながら、しかし古本市の常である、我が人生を一変させる一冊には出会えなかった。
 以下、戦利品。
  ・白川静『中国の神話』
  ・佐藤朔『ボードレール詩集』
  ・高群逸枝『娘巡礼記』
 ところで、遊弋の途中にカズオ・イシグロ『クララとお日さま』を見つけた。これは既に持っているから手にはしなかったが、個人的に気に入っている物語なだけに、本棚からこれを手放す人間がいるのか、と少々衝撃だった。
 当然事。私が好きな物語はだれも好きな物語とは限らない。また、その逆も然り。

〇古本市は愉快だ。遊弋の果てに手に入るのが殊に欲する本ではなくとも。本の海をおよぐことには確かな充足があり、人生が満たされたものであるように思える。それに、これは図書館学の恩師の言葉だが『古本好きに悪人はいない』という。
 どうやら私はまだ悪人ではない。善人かはまた、別の問題だけれども。

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