日記:2025年8月15日

〇晴れ。猛暑だが、風吹き木陰は涼し。
 長い連休もいよいよ終わりが見えてきた。私といえば、相変わらずぐうたらしている。朝のニュースで気づいたが、今日8月15日は終戦記念日である。終戦から80年を経た。

〇夕、祖母の弟が祀られる護国神社へ詣でた。境内の参道には無数の提灯が吊るされており異界の観がある。賽銭入れの隣の《英霊顕彰館は冷房が効いております。》という貼り紙にはユーモアがある。
 帰り際の境内で見かけた、孫子まごこを連れたご老人の言葉を聞いた。
「どこにも儂の提灯が吊るされてないじゃないか。こっちは一万円も払ったのに」
 護国神社に吊るされた提灯には法人名や個人名を書いた短冊が付いており、御布施(と呼ぶのかは知らないが)を払うことで短冊に名を記す権利を得ることができる。
 これは想像だが、ご老人は御布施を奉納することで吊るされた提灯の短冊のひとつに己の名を記したにもかかわらず、その提灯を見つけられなかったのだろう。
 無論ご老人の短冊がほんとうに吊るされていない可能性もあるが、その可能性よりも、ご老人が数百を超える短冊から自分の名を見つけられないほうが幾らか高そうである。
 背後にある事情はともあれ、境内で「一万円も払った」と、殊に金のことを何度も言うのはなんとも居た堪れない。
 それぞれの事情、想いを泉下に届ける手段としての金と短冊が、いつのまにか目的そのものにすり替わってしまったような、彼岸と此岸とに横たわるままならない境界を見たような心地である。

〇世の中は相変わらず――怠慢な私と同様に――ぐうたらしている。戦はどこかで起きており、らんぼう者が幅を利かせ、疾病は収まらず、だれも私の得ばかり考えている。
 だが、前進もしているはずである。私が猛暑のなかで汗みどろになって泉下の人びとに安寧を祈ったように。ご老人が身銭を切って提灯を灯したように。数えきれない人たちが、今日という日に何かを想うように。ままならないなかでも、すこしずつ。
 何処へ?――むろん平和へ。

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