〇雨。『ウルビーノのヴィーナス』を知った。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオの手からなる裸婦画。肉感あふれる女(女神)が、純白のシーツの敷かれた寝台に体を預け、蠱惑的な瞳を鑑賞者に向けている。絵に含まれる寓意は様々にあるらしいが、その方に疎い私にはいまいちピンとこない。
だから、その絵の背景をさぐってみる(wikipediaで)。
絵の依頼者は、グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレ。ウルビーノ公爵。ティツィアーノの描いた彼の肖像画を見ると、肌の青白さに対して目の周りと鼻の赤味が目立ち、あまり覇気の感じないつぶらな瞳をした男である。厳めしい鎧を纏っていなければ、そこらの飲み屋にいる気の良いおっちゃんという感じがしないでもない。
公爵には年若い花嫁がいた。ジュリア・ヴァラノという名の13歳の少女。当時は妻の要件として純潔がなによりも重要視されており、おそらくジュリアは初潮をむかえ子を産めるようになってすぐ嫁入りしたと思われる。彼女もティツィアーノの描いた肖像画があり、そこに描かれた彼女の顔は、ウルビーノのヴィーナスと瓜二つである。
そう、ウルビーノのヴィーナスとは、公爵が13歳のジュリアを妻に迎えた記念にティツィアーノに描かせたものであった。結婚の際の公爵の年齢は分からないが、おそらく30代ほどであっただろう。
あらためて、『ウルビーノのヴィーナス』をみる。顔はジュリアのものだが、顔より下は、豊満で、体のどこを触れても柔肉に手のしずみ込みそうな熟れた女のそれである。13歳の乙女に贈る絵としては官能的に過ぎるように思われるが、公爵はこれを以て花嫁の「教育」としたという。
おまえは女神のように美しく、娼婦のように淫蕩であれ。良き妻として夫に尽し、子を産まなければならぬ。――
当時の文化慣習からすれば、それは当然の要求だったのかもしれない。
が、私には、公爵のそれは、己の自由にできる若い女を得た、助平親父の粘ついた性欲の表出としか思われない。
だが、あるいはこれは、男の理想かもしれない。富、権力、すべてを受け入れる従順な若い妻――これらすべてを得た男は、あり得べからざる神秘を得た気になるのだろう。
結局、その神秘はこの世の何処にも無いのだが。
1547年、可憐なジュリアは死んだ。まだ20代前半だった。死因は不明だが、若すぎる出産の影響がないとは思われない。
1574年、公爵は重税にあえぐウルビーノの住民たちの起こした反乱を弾圧した翌年の、フェラーラからペーザロへ向かう旅の途中に大病を患い、あっけなく死んだ。