日記:2025年4月4日

〇晴れ。春の陽が射すもののまだ風は肌寒い。

〇ときどき、学生のころに哲学をやっていればよかったと思うことがある。というのもアカデミックな場でなくとも哲学的問いや思索は行なわれており、小説や映画だけでなくあらゆるエンターテインメントにも哲学的なる題材が使われていたりするからだ。
 たとえば「この世のあらゆる出来事は既に決定しているから、人間の努力や向上心といったものは無意味である」などと話すヴィランはゴマンといるだろう。対して「世界は人間を肯定するようにできている! 未来が既に決定されていたとしても、その決定された未来は人間の努力や向上心のために最良であるようにできている!」と返すヒーローも、やはりゴマンといる。
 私は、運命論と決定論、論のなかにある楽観的あるいは悲観的な立場についても不案内だが、もし少しでも哲学をやっていたらば、こういったエンタメから思索を深められたりもするのだろうか、と時々考える。
 もちろん、思索自体は学問としての哲学を知らずとも可能だろう。が、哲学の端に触れたとき、脳から滲みだす曖昧模糊のかたちを語るには、やはり哲学を知らなければいけない。私の内側にある直観を外に取りだせれば、それは楽しいに違いない。
 もちろん、学ぶのはいまからでも遅くはないが。

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