日記:2024年10月30日

〇晴れ。喉の調子は普通。咳はたまに出るが、病的ではない。

〇夕、帰途の地下通路で、自転車に乗った小学生児童3人の列と遭遇した。
 彼らは一列になって、自転車に乗ったまま地下通路のスロープを走っていた。
 危ないなあ。と内心で思いつつ、口頭で注意するほどの事でもないから彼らが後ろに流れてゆくのを横目に見過ごした。
 ――ガシャーン。次の瞬間、地下通路に音が木霊した。音の方に振り向けばさもありなん、自転車の列の最後尾が転げた音であった。
 これは流石に見過ごすわけにはいかない。
 私は倒れた児童と自転車の方へ行き、「大丈夫か」と声を掛けた。幸い転げ方がよかったのか流血はなく、転げた児童もすんなり立ち上がって「大丈夫です」と応えた。
 大丈夫――ならば私にできる事はない。せいぜい自転車を起こすのを手伝ってやるくらいである。
 私は「もう暗くなるから、気を付けておかえり」と言い、その場を後にした。
 が、今になって思い返すと、地域社会の一員として、地下通路のスロープを下るときは自転車から降りて押すよう、言ってやるべきだったかもしれない。
 今回は偶々「大丈夫」だったが、そうならない場合も十分にあり得た、と。
 しかしながら、その道理を説くべき児童は幼過ぎるし、また、見知らぬ大人に道理を説かれたところで児童にとっては――今しがた自転車で転んだばかりの児童にとってはトラウマにもなりかねない。
 そんなふうに考えて、結局、私は私の道義的責任を見過ごした。

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