〇晴れ。鼻水ずるずる太郎である。おそらく風邪の後遺症(と言うと大袈裟)だが、風が吹けば桶屋が儲かる式に事ある毎に鼻孔から粘液がまろぶ惨憺たる日であった。ゆっくり風呂に入って寝るしかない。
〇本質は人間を意味しない。
毎日ラーメンを食うラーメンマンがいたとする。むろん、彼の本質はラーメンである。これに間違いはない。が、さしもラーメンマンとて偶にはカレーライスを食ったり、肉を喰らいたい時もある。本質論では、これは誤差となる。
我々は本質を語るとき、誤差を省く。
本質というものはワインであり、そこに誤差という一滴の泥が混じれば、なんだか気味の悪いワインが出来上がるためである。
だが、人間の妙味とは、その本質ではなく誤差の部分を言う。
ラーメンマンだってカレーライスを食うし、肉を喰らいたいときもある。そういったとき、彼は一個の人間として輪郭を帯びる。ラーメンという一面体であった存在が、カレーライスや焼肉という面を見せて多面体となる。
あるいは、一口にラーメンと言っても、そこにはこだわりがあるかもしれない。それは醤油ラーメンだったり、塩ラーメンだったり、とんこつ、みそ、その他多種多様のラーメン万華鏡世界が展開されている。
これらのこだわりを誤差とし、ラーメンと一言で片付けてしまうのは、如何にも乱暴で人間味を欠く。
本質は人間を意味しない。人間とは一つの本質ではなく、数多の誤差の集合体なのである。我々よ本質を語るなかれ。もっとしょうもない誤差を語れ。
しかし、むろん、この論にも意味はない。