日記:2024年5月29日

〇晴れ。仕事の帰途通りがかった用水路の縁で一羽の鴨を見た。私が近づいても飛び立つ気配はなくグワアグワアと鳴いていた。群れから逸れて帰り道が分からず、途方に暮れていたのだろうか。

〇鼻筋に出来物ができた。ちょうど眼鏡の鼻あての当たるところで不便する。軟膏を塗った。

〇技術に罪はない。これは不変の真理である。なぜなら罪の所在はいつも主体にあり、主体の欲望を現実に反映するための客体即ち技術に罪は存在し得ないからである。
 技術を無かったことにはできない。これもやはり不変の真理である。たとえ技術そのものが主体の手の届くところから失われたとしても、その技術が存在したという事実は残り続ける。
 近ごろの騒動を見るにつけ、主体の欲望憎しで技術にまでケチをつけた論を展開する者がいるが、これにはあまり意味を感じられない。技術において議論すべきは主体の持つべき倫理観と責任感であり、これらを十分に語りつくして整理したものが、主体の技術に対する行動規範となる。それなのに結果を求めるあまり技術そのものを否定して無かったことにすればよいという乱暴な考えでは、かえって正しい行動規範の整備が遅れ、技術の使い方を誤ることになってしまうだろう。

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